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かるふーる

  • 2007年7月の≪かるふーる≫
    月に一回開催されている“アコーディオン喫茶かるふーる”の様子です。<炭火煎珈琲はるもにあ>のHPでも過去の<かるふーる>の様子をご覧になれます。http://homepage2.nifty.com/harmonie2000/ako.html クリックすると写真は大きくなります。
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2007年7月22日 (日)

国境の町♪

■小川教室スタディーコンサート■
   立川・新紀元画廊ホールにて

 今日は、小川経子先生のお教室の発表会へ行って来ました。アットホームな雰囲気で出演者の皆さんも、家族に聴いてもらうような気持ちで演奏なさっていたように感じました。学びの過程で、互いに演奏を聴き合い励ましあって進んでいくことも大切だと思います。演奏が止まりそうになると「〇〇さん、がんばれぇ~」と応援の言葉が後押ししてくれたり、温かい雰囲気の中でのコンサートでした。演奏者の大半は以前から存じ上げている方たちなので、それぞれの方たちが一年間練習に励んでいらした成果を楽しく聴かせていただきました。(と言っても、昨年は急な用事で聴きに行けませんでしたので、2年ぶりのスタディーコンサートでしたが。)
 プログラムはバラエティーに富んでいましたが、ちょっと印象的だったのは、ある生徒さんの強いご希望により、小川先生の伴奏で歌手の方が歌われた「国境の町」という曲です。私は知らない曲でしたが、歌手の方が歌い始めると会場内のあちらこちらから特に男性の歌声が聞こえてきて、一緒に口ずさんでいらっしゃいました。後で聞いたところによると、ずいぶん流行った曲らしく、ある年齢以上の方は大抵知っているという曲だったようです。ネット検索をしてみましたら、東海林太郎さんの戦前のヒット曲だそうです。懐かしさで一緒に口ずさんだ方が大勢いらしたのですね。今日、この曲を聴けて、一緒に歌えて良かったなぁと思っていらっしゃった方が多かったのではないかと思います。最近、歌声の伴奏などやっているせいもありますが、歌は人の気持ちを動かすものだなぁと、しみじみと感じます。最後は今大流行の「千の風になって」を客席も含めて全員で大合唱してお開きとなりました。

演奏された曲目: ♪ドナドナ ♪ドレミの歌 ♪サンタルチア ♪テネシーワルツ ♪国境の町 ♪ 小雨ふる径 ♪世界は二人のために ♪カプリ島 ♪遠くなる街 ♪ユーモレスク ♪荒城の月変奏曲 ♪黒い瞳 ♪ワルツィング・マチルダ ♪アンディフェランス ♪情熱大陸・エトピリカ ♪碧空 ♪主よ人の望みの喜びよ ♪一晩中踊り明かそう ♪凱旋行進曲 ♪ANNA NANNA(子守歌) ♪ラクカラチャ ♪アイネクライネナハトムジーク 第一楽章 ♪千の風になって

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コメント

●たしろさんへ:
そういえば長時間のメンテの連絡が来ていたのに、お知らせをアップしておくのを忘れていました。すみませんでした m(_ _)m
「国境の町」について、いろいろと調べていただいてありがとうございました。昭和9年に発売されて大ヒットということは、きっと私の両親なども当然知っている曲なのでしょうね。

●カブトガニさんへ:
東海林太郎さんのことも丁寧に調べていただき感謝します。昭和47年に亡くなられたということは私は多分テレビなどで見たことがあるはずですね。何となく直立不動で歌う姿を見たことがあるようなおぼろげな記憶があります。

■たしろさん、カブトガニさん、調べてくださった内容もとても素晴らしいので出来れば多くの方に読んでもらえればと思い、ブログの記事の方へ転載させていただきます。いつも、いろいろなことを教えていただき、本当に感謝します。

「国境の町」と東海林太郎さんをご存知ない方のために、少し調べました。

東海林太郎さんは明治31年秋田県生まれ。
早稲田大学卒業後,南満州鉄道入社。
彼が書いた組合関係の論文が左翼思想と見られ、満州奥地へ左遷される。

昭和5年帰国。昭和6年レコードデビュー。
昭和7年「利根の夜船」昭和9年「国境の町」昭和9年「赤城の子守唄」昭和10年「野崎小唄」昭和13年「麦と兵隊」など連続ヒットを飛ばし、後にマーキュリー・レコードの重役までなったが、昭和47年10月4日死去、享年73才でした。

ウエーブのかかった髪形、黒のロイドメガネで両手を揃えた直立不動の姿勢で独特のビブラートで歌う東海林さんはその実直な人柄もあって、戦中から戦後まで多くのファンに愛されました。

「国境の町」は何処の町?
 昨日も今朝もメンテで書けなかったので見直す度に長くなりました。(以下長文失礼)
 昭和9年11月に発売されて大ヒットした「国境の町」、この表題の町は一体何処がモデルなのかは僕にとって長年の謎です。具体的でないのは誰もが勝手にイメージ出来て却って宜しいということかも知れませんが、歳のせいかこういう事が気になり出すとどうもいけません。

  一つ山越しゃ 他国の星が 凍りつくよな 国境

 一方、昭和9年から連載が始まり、昭和12年に「雪国」として刊行された川端康成の小説「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」がほぼ時期を同じくします。(あ、この頃は父母の婚約時代でして、僕はまだ生まれていません。)

 さて、「雪国」の「長いトンネル」というのは上越線の清水トンネルで、ここでの「国境」とは群馬県(上野国)と新潟県(越後国)の境、そして町はといえば越後湯沢ということになることは誰でもよく知っています。
 一方、出稼ぎ父ちゃんが、余所者として遠く離れた他県で辛い暮らしをしているとき、これも夜空を見上げれば「他国の星」に見えるかも知れません・・・・。

 一方、かつて県境に相当する「国境」は(コッキョウ)とは読まずに(クニザカイ)と読ませたようですが、「国境の町」は「コッキョウ」ではなくて「クニザカイ」と歌わせているところが話をさらに紛らわしいものにしており、曖昧なままの「クニザカイ」は必ずしも外国との国境線に限ったものではなく、国内でも有りそうな話というふうにもなって参ります。

 しかし調べるうちに、どうやら「国境の町」の「一つ山越しゃ 他国の星が」は、もともと原詩では「一つ山越しゃ、ロシアの星が」だったらしいということが分かって参りました。こうなると「国境の町」とは、どうやら当時の満州国とロシアとの国境にある町の事らしいですが、もしも、この歌詞改訂がなければこの曲がこんなに大ヒットするようなことは無かったのかも知れません・・・・が、う~ん、若い人にとってはこんな事はどうでも良いことかも(^^;ゞ。

 ついでに、どうでも良いことですが、何故か自分の中では「国境の町」と昭和23年の「異国の丘」とが戦前戦後の10数年を隔てているにもかかわらずなぜか全く同じように響いてしまうのですね。単に子供だったからなのだろうか。今では戦争を思い出す曲はなるべく避けるようにしているのですが、やはりこれらの歌には年月を隔てて懐かしさを覚えるところが歌というものの不思議なところです。

●カブトガニさんへ:
会場の椅子が足りなくなるぐらいのお客様でした。昨日の演奏者の半分以上が65歳以上というようなお話がありましたが、お客様も比較的年齢層の高い感じだったので、多くの方が「国境の町」をご存知だったのですね。カブトガニさんも東海林太郎さんの伴奏をなさったことがあるのですね。素晴らしいです♪
お教えいただいたサイト見ようと思いましたが、時間的に混み合っているせいか、今は見ることができませんでした。日を改めて見てみますね。コランさんが見られるとあっては是非見たいです!

●parmerhuseさんへ:
parmerhuseさんはこの曲ご存知だったのですね。お母様が歌っていらしたのですか。懐かしい思い出でしょうか。忙しい中でも、楽しいことを考えながら頑張れば、元気もでますね!

ごめんなさい、終末→週末です。変換ミスでした。

この歌、亡き母もよく歌っていましたよ。「そりの鈴さえ寂しく響く・・・」でしたっけ。えりさまも楽しい時を過ごされよかったですね。私も、これから忙しいですが、終末、アコの東西交流、旅費と宿代に工面しながらも、続けていきたいですね。心のよりどころですから。

小川先生のスタディ・コンサート、以前立川の会場へ私もお邪魔した事があります、先生のコンサート盛会の様で何よりです。

「国境の町」「名月赤城山」など東海林太郎さんのヒット曲で中年以上の人なら誰でも知っているほど有名な曲、私も昔ラジオ番組で東海林さんの伴奏した事もありました。

ダニエル・コランなどが出ているアコーディオン・コンサート・ビデオが見られるサイトを見つけました。
yahoo!で Nuit de L'Accordeonを検索してクリックすればアクセス出来ます。

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