阪神淡路大震災
26年が過ぎても、この日の記憶は鮮やかに残っています。出勤支度をしながら見ていたテレビニュースの中の信じがたい映像、職場に着いてから次第に分かってきた被害の大きさ。翌日からは支援に向かうという同僚たちのための準備やら連絡調整やら。そんな日々の中で仕事関係者から届いた手紙にあった訃報。一瞬目を疑ったけれど、それは確かに学生時代にお世話になった先生の名前に間違いなかったのです。親しくお話した訳でもなく、1年間か2年間か語学の授業を受け持って頂いただけの関係で、先生にとっては大勢の中の一人に過ぎません。若くて意欲に溢れた先生だったという記憶が蘇ります。非常勤講師として来ていらしたので卒業時にお顔を見ることもなく、その後に関西の大学に職を得られたことも知らずにいました。
毎年、この日が来る度に思い出します。インターネットの発達した今、検索すると亡くなるまでの足取りなど分かるのだろうかと、ふと思いついてお名前で検索をしてみたら関西の大学で14年間に渡り周りの人たちの記憶に残るような立派なお仕事をされていたらしいことが分かりました。ご存命ならば、更に素晴らしい業績を残されたのだろうと思いながら、若々しくキャンパス内を小走り気味に歩いていらした姿を思い出していました。
思い出してあげることが何よりの供養なのですと、よく言われます。その人が、この世に生きていたことを、いつまでも忘れないでいてあげることが大切なのですと。
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