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かるふーる

  • 2007年7月の≪かるふーる≫
    月に一回開催されている“アコーディオン喫茶かるふーる”の様子です。<炭火煎珈琲はるもにあ>のHPでも過去の<かるふーる>の様子をご覧になれます。http://homepage2.nifty.com/harmonie2000/ako.html クリックすると写真は大きくなります。
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フランスの思い出

2015年11月22日 (日)

パリでの思い出

 「フランスの思い出」というカテゴリーがあることを忘れてしまっていたぐらい長い間、このカテゴリーに記事を書いていませんでした。

 アコーディオンという楽器と出会わせてくれたパリ。親子三人で苦労しながらも楽しく過ごした三年間。乳飲み子を抱えた東洋人家族に温かく接してくれた13区の人たち。歩いていても公園のベンチに座っていても声をかけてくれる人がたくさんいて、多くの出逢いがありました。ベトナム、アルゼンチン、中国、ポルトガル、カメルーン、韓国、ポーランドなど様々な地域から来た人たちと知り合いました。個人主義で他人のことには無関心かと思っていたら、おせっかいなぐらい親切な人がたくさんいました。そしてベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争など歴史的に大きな出来事を身近に感じながら過ごした日々。

 たくさんの思い出があるパリで起きた悲しい事件に対して、きっと多くの人がそうであるように、私にも祈ることしかできません。犠牲者の方々のご冥福を、ご遺族の皆さんのお心が少しでも早く癒されることを、二度とこのようなことが起きない世界になることを。科学技術や様々な分野での研究が進んでも武力を伴う争い事がなくならないのは何故なんでしょう。争いごとの起きない世界を作るのは不可能としても、たとえば言葉や文章のやり取りでのみ意見や考えの違いを闘わせるというような仕組みはできないのだろうか、などと考えます。

 今の私は自分と家族のことを考えることで精一杯で、積極的に社会の中で自分に何ができるかなどと大きなことは考えられません。それでも、せめて自分の身の回りでは争い事を極力起こさずに日々を過ごしていきたいと、そう思います。多くの人が、力で人を屈服させることは平和な世の中に繋がらないと信じることで、少しだけでも何かが変わればいいなと思います。

2006年7月23日 (日)

Swami Prajnanpad

 このタイトル、何と読むのか分かりません。検索をしても日本語のサイトで紹介されているものは見つけられませんでしたが、インドの哲学者・物理学者らしいです。もしかするとインド系のフランス人かもしれません。

 3ヶ月ぐらい前に「父親のように慕って敬愛していた恩師を亡くして夫が意気消沈している」と書き送ったメールに対して、ベトナム人の友人から届いた返信メールに最初に添付されてきたのは EPICURE(エピクロス - ギリシャの哲学者)の文章でした。フランス語のテキストなので夫も私も読む暇を見つけられずにいるうちに時間は過ぎ、数日前に届いたのはこのSwami Prajnanpad の書いたというかなり長い文章です。自分がいろいろと悩んでいる時に助けられたこの文章を是非読んでみて、ということで送ってくれたのですが、いかんせん私の語学力では いつになったら読み終わるやら・・・です。が、ちょっとだけ眺めてみたら、何だか面白そうなことが書いてある(ような気がする)。一日に5行ぐらいずつでも辞書引き引き読んでみようかなぁと思いました。多分、3日坊主で終わると思いますが、万が一この人物についてご存知の方いらっしゃいましたらコメントお願いしま~す!

 それにしても持つべきものは友! 忘れる一方のフランス語を(元々そんなに出来ないのに) ちゃんと勉強し続けなさいと思ってかどうか分かりませんが、まめにメールをくれます。フランス滞在中に出合ってから16年~17年ぐらいのお付き合いになりますが、いつもいつも手紙をもらってもメールをもらってもお返事を出すのは忘れた頃という私を見捨てずにいてくれるのは本当にありがたいです。うちの息子と同い年のお嬢さんがまた愛らしいのです。最後に会ってから14年ぐらいは経つので、再会したいなぁという思いと、あぁ言葉が出てこないだろうなぁという不安と両方あります。やっぱり、勉強しなくちゃ、フランス語!!

2006年6月28日 (水)

スイカの皮

 先週いただいた新鮮なスイカ。皮(白い部分)までおいしくいただきました。赤い部分を食べた後、白い部分をかじっていると新鮮なだけあって、この部分もおいしい。これは捨てるのはもったいないと、表面の硬い縞々の部分だけむいて捨てて、白い部分いろいろと料理してみました。

①千切りにして軽く塩コショウ味でバターいため
②薄切りにして塩もみしてキュウリ・ワカメとともにポン酢で和えて鰹節をかける
③薄切りにしてキュウリ・人参と甘酢につけてサラダに

 いずれも、黙って出したら家族はスイカの皮とは気付かずに食べていました。後で正体を伝えるとビックリ。②は先日福岡出身の方とお話していたら「福岡では前からスイカの皮よく食べてますよ。」と言って教えてもらったレシピです。大分の私の実家ではスイカの皮は食べませんでしたが、福岡ではポピュラーなのでしょうか。あるいは、この方の家庭では食べていたということでしょうか。そういえば、九州にはザボン漬けのように柑橘類の皮を砂糖漬けにする伝統もあるのでした。

 ここで思い出したことはフランスのスーパーで買ったある商品のことです。ケーキやお菓子に入れるドライフルーツのような外見のものを買って帰って、よくよく原材料をみると「スイカの皮」と書いてあったのです。オレンジピールとかドライ・パイナップルとかチェリーとかの混ざったものかと思っていたら、スイカの皮の砂糖漬けに着色したものでした。ちょっとガッカリしたと同時に、そうかザボン漬けと同様にスイカの皮も砂糖漬けにするんだと納得したのでした。

2006年6月11日 (日)

新鮮野菜

 日曜日の朝6時半過ぎに鳴る電話。何事かと思ったら友人から。畑を借りて育てている野菜がたくさん収穫できたから「これから持って行っていい?」とのこと。もちろん大歓迎。今日は普通に大きな大根2本に 超特大キュウリが3本。2、3週間前には、やはりかなり大きなサイズの小松菜を5キロ(!)届けてくれました。ゆでて冷凍保存したものが、ちょうど昨夜使い切ってなくなったところでした。持つべきものは友。今朝の朝食には「畑から採れたて直送のキュウリ」をいただきましょう。味が全然違います。

 その大きなキュウリを見ながら思い出したことがあります。フランス滞在中に食べていたキュウリです。今日のキュウリも日本のスーパーでは決して見ないサイズですが、フランスで売られていたキュウリは多分その倍はあるかという大きさで、本当に同じ野菜かと思うぐらいでした。そういえば大根は表面(皮)が真っ黒なのに中身は白いというものが売られていました。野菜も国によっていろいろあって面白いですね。

2006年1月31日 (火)

アコーディオンとの出会い

 アコーディオンの魅力にとりつかれたのは多分1989年です。この年の10月から3年間過ごしたフランスでは、ちょうどアコーディオンのリバイバル・ブームといった感じでテレビやラジオからアコーディオンの音色が頻繁に流れてきていました。何がきっかけだったか全く思い出せませんが、気付いた時には、すっかりアコーディオンの虜になっていました。初めて見るボタン・アコーディオンにすっかり心奪われて、アコーディオンの音色が聞こえてくるとテレビの前から動けなくなるといった状態でした。

 なかでもお気に入りだった番組は"PASCAL SEVRAN SHOW(パスカル・セヴラン・ショー)" といって、往時のバル・ミュゼット(ダンスホール)を再現したようなスタジオ・セットの中でアコーディオン演奏やダンスが繰り広げられるといった内容でした。司会進行役のPascal SEVRANという男性が歌も歌うのですが、それがまたステキで、彼のカセットテープを見つけて買って持ち帰りました。

 当時はミュゼットという言葉も知らず、有名なアコーディオン奏者の名前も知らず、とにかく好きで聴いていただけでした。唯一覚えた帰った名前はイヴェット・オルネーという女性奏者。とにかく派手で目立っていました。一度見たら忘れられないインパクトのあるバイタリティーにあふれた感じの女性でした。きっと、ジョー・プリヴァとかダニエル・コランとかマルセル・アゾラとか有名なアコーディオン奏者をたくさん見ていたのではないかと思うのですが、当時は知らなかったので覚えていないことが少々残念です。

 自分でもアコーディオンを弾きたいと思って楽器屋さんのショーウインドウを眺めたりもしましたが、奨学金と僅かな蓄えに頼って生活している身には買える金額のものではありませんでした。老後の楽しみにアコーディオンが弾けたらいいなと思いながら過ごす日々でした。その後、老後を迎える前に初めてのアコーディオンを手に出来たのは1994年のことでした。そして、フランスから来日したアコーディオン奏者たちの演奏を聴きに行ったり、発売されていたビデオを見たり、また渡辺芳也さんの「アコーディオンの本」「パリ・ミュゼット物語」を読んだりして、私が心躍らせたあの音楽はミュゼットと呼ばれるものだったのだと知りました。今も相変わらずミュゼットが大好きです。

獅子舞 in Paris

 一昨日の中国の旧正月-春節-で思い出したことがあります。パリ滞在中、中華街のすぐ近くに住んでいたので、よく買い物に行きました。貧乏学生とその家族にとって中華街で手に入れることの出来る食材は貴重でした。日本で普通に買う値段の4倍近くするような高級日本食良品店へは行けなかったので、醤油などの調味料や野菜やお惣菜まで様々なものを中華スーパーで調達していました。日本ではお目にかかることのない味の香港製の「出前一丁」(インスタントラーメン)とか、粉末になっていて水を加えて煮て作る豆腐の素とか、いろんな面白い食材が揃っていました。

 週末、夫に子どもを見てもらい、ベビーカーを引きリュックを背負って買い物へ出かけ、そのベビーカーに乗るだけ、リュックに入るだけの食材を買い込みエッチラオッチラ帰ってくるのが習慣となっていました。ある時、珍しく家族3人で買い物へ出かけたのが、ちょうど春節にあたる日でした。知らずに行ったところ、随分賑やかに何かやっていると思ったら、なんと獅子舞をやっていました。日本のものとは少し違っていましたが、歩行者天国のようになった通りを獅子舞が練り歩いていて驚きました。中国の人たちも獅子舞を楽しむんだ、そしてパリの街中でも故郷の伝統を捨てずにいるんだと面白く感じました。

 パリで知り合って、その後ずっと文通を続けている(最近はそのやり取りも、ほとんどメールとなってしましまいたが)ベトナム人の友人からは、一昨日やはり “Happy new year” メールが来ました。ベトナムの方たちも旧正月を祝うようですね。メールが来たのは嬉しいものの、ほんの短いメールに、短い返事を出そうと思って1時間も2時間も辞書を引き引き考え込む自分がちょっと悲しくはありました。毎年春になると、今年こそは語学を身につけたいと思うのですが、続いたためしがありません。日本へ遊びに来たいと言っている彼女が本当にやってくる前に、何とか少し語学力をつけたいものです。

2006年1月 8日 (日)

Galette des Rois  ギャレット・デ・ロワ

 フランス滞在中、この季節の楽しみの一つにGalette des Rois(ギャレット・デ・ロワ - 王様のギャレット)と呼ばれるお菓子がありました。パン屋さんやケーキ屋さんで買ってくる時に金色の王冠(もちろん紙でできたペラペラのものですが)が付いてきて、食べる時には中に一個だけ入っているソラマメ型をした陶器を探して楽しむのです。そして、そのソラマメ型の陶器を見つけた人が王様として金色の王冠を頭に載せて、皆でその年の幸運を願うといった感じの行事でした。昔は本物のソラマメや金貨を入れていたらしいです。今は、いろんな形のものが入っていてコレクションしている方もいるようです。とてもおいしいお菓子だったので、また食べたいなぁと懐かしく思い出しました。

 探してみたら、このお菓子を紹介したホームページもありました。
http://www.galette.info/what_galette_des_rois/index.html

2005年12月26日 (月)

クリスマスの終わりは?

 日本では12月25日が終わるとクリスマスの飾りつけは即片付けられテレビやラジオからクリスマスソングが流れてくることもなくなります。今朝スーパーに買い物に行ってきましたがクリスマスを感じさせるものは跡形もなく売り場はお正月用品であふれていました。

 フランスにいた間に不思議に感じたことの一つにクリスマス・シーズンは一体いつまで続くのだろうということがありました。25日を過ぎてもラジオからはクリスマスの歌が流れ、街にはクリスマス・ツリーが飾られたままだし、何と年が明けて翌年の1月になっても、それは続いていました。クリスチャンでないのでよく分かりませんが、アメリカでも同じ状況だと聞きましたので、欧米ではクリスマスというのは12月25日で終わるものではないようですね。

2005年11月28日 (月)

モンスリー公園の出会い

 アコーディオンと出会ったパリ。3年間暮らしたのは、もう10年以上昔の話です。いろんなことを忘れてしまいました。でも、今も文通しているお友だちもいるし、懐かしい思い出もたくさんあります。思いつくままに、老化防止も兼ねて昔のことを思い出しつつ、書いてみようかと思っています。

 住んでいたところはパリ13区、中華街に近い下町でした。移民が多い地域で、同じアパートに住んでいた人たちはポルトガルやらイタリアやらの訛りのあるフランス語を話していました。こちらのフランス語も怪しいのでちょうどよかったかもしれません。徒歩10分位のところに大きな公園がありました。モンスリー公園です。息子を遊ばせに通ったこの公園で、いろいろな出会いがありました。一番強く印象に残っている出会いはジャック・イジュランのカセットテープをくれたベトナム人女性。

 シャンソンが好きだったとはいえ、ロック系の音楽はあまり聴かず、ジョニー・アリディーの名前ぐらいは知っているという程度でした。なので「ジャック・イジュランを知っているか?」と聞かれて当然「知りません」と答えました。(1989年当時、フランスではスターと言える歌手だったらしく、息子のアルチュール・アッシュも既に活躍していたらしいです。) すると、ちょっと残念そうな顔をした彼女は、公園の側の自宅に案内してくれてお茶やお菓子をごちそうしてくれた後、別れ際にカセットテープを一つくれたのです。「夫のものだから、よかったら聴いてみて」と。無名の歌手のカセットテープだと思って持ち帰り、聞いてみたら、ロックとは言え、比較的聴きやすい音楽でした。その後、彼女とは長く親しくしてもらうこととなりました。(すでに別居中で、それぞれ別のパートナーがいたらしく、そこでジャック・イジュランに会うということは残念ながらありませんでしたが。)